2018年08月10日

元バドミントン日本代表 池田信太郎が語る「アスリートにおけるセカンドキャリア」(前編)

北京・ロンドン五輪に出場した経験を持つバドミントン選手。

現在、AuBの顧問を務める池田信太郎が社会的にも話題になっている「アスリートのセカンドキャリア」について自身の体験を語った。

セカンドキャリアについて考え始めたのは、私が26、27歳くらいのちょうど北京オリンピック当たりだと思います。セカンドキャリアとは?というのが言われ始めた時期でもあって、JOCがアスナビ(トップアスリートと企業をマッチングする仕組み)を発足して、セカンドキャリアについて現役のころから考えましょうね、というプログラムがありました。その頃はみんな「セカンドキャリアって何?」という感じでした。やりたい事は何ですか?と聞かれてもあまりよく分からない人が多かったと思います。

その中でも私は、北京でメダルを取れたら引退して、そのまま会社に入ってマネジメント系の仕事をしたいな、という想いがありました。スポーツで生きていく!というよりもビジネス寄りの未来を考えていました。

そして挑んだ北京。世界選手権で日本人としてメダルを獲得した初めての選手だったから「メダルとって引退かなぁ」と思っていたけど、予想以上にレベルの高い戦いの末、1回戦で敗退しました。

メダルを取れる可能性があっただけに、非常に悔しい想いがありました。そこで、少し悩みましたが、現役を続行することを選択しました。

 

父や弟はバドミントンのコーチを現在もしているので、バドミントンで生きていく道についてよく人に聞かれたりはしました。しかし、私はバドミントンに関しては、フラットな立場で外の世界から関わっていくというスタンスを選びました。もちろんお世話になったバドミントンに携わることは後世のアスリートやバドミントン界への貢献にもなるので関わっていきたいとは思いますが、色々と大変な面も大きいと私は考えています。

セカンドキャリアを意識し始めてから、自分が何をしたいのかをよく考え多くの人に会いに行きました。ロンドン五輪が終わって2013年3月末で会社を退社。その後1年くらい自分でスポンサーを探しました。これが私にとって凄く勉強になりました。スポンサー獲得のため、自分についてのプレゼンから営業活動、クロージングまで考え抜いて、”自分”という商品を購入してもらうために凄く調べ上げました。

これは本当に凄く苦労したことの一つにあげられると思います。私には今までの人生で”3人”助けられた恩人がいます。この方々は、現役の苦しい時に助けてもらった方々なので、いずれ私の知見、お金、人脈などを使って恩返しをしていきたいと考えています。

 

引退後は、様々な企業の様々なプロジェクトに入り込ませていただくことで、自分が何を、どこまでできるのか、というのを知るための修行と位置付けていました。

例えば人前で話すこととかプレゼンとか、本当に良い経験です。

 

今、現役時代の経験が生きていることとすれば、コミュニケーション能力だと思います。

私は、ダブルスを組むことが多かったので「人のモチベーションを作ること」、「パートナーの状況を考えること」をしなければならないので、対人関係は割と得意だと思っています。

 

また海外選手と組むこともあったので、そういった面でもコミュニケーションは非常に重要でした。きちんとディスカッションすることを心がけていましたね。

ディスカッションというと、日本人は割と苦手な方が多いと思います。でも怒っているわけでなく、あくまでも自分の”意見”なので、きちんと話し合いをするというスタンスが好きでした。

 

そういった意味でも日本のアスリートが置かれている環境は「体育の延長」です。

 

体育とスポーツの違いを簡単に言うとすると、体育は学校の授業の延長のようなイメージで、日本はこれに近いと思います。例えばコーチが神様ではないですが、常に上位にはコーチがいるような感じがします。一方で、スポーツは人と人とのコミュニケーション、自立だと考えています。海外選手は割とこの気質だと思っていて、私はこちらを推奨していきたいと考えています。その為、選手がきちんとコミュニケーションをとってディスカッションをする、ということに重きを置かれます。

 

競技やレベルにもよるかもしれませんが、やはり日本も”スポーツ”にならなければならないと考えています。