2018年01月19日

今年は平昌オリンピック!!!!オリンピアンが語るオリンピックとは?!横田×池田対談【後編】

前編(http://aub.co.jp/activity/849/)は、オリンピックでの食事事情や、アスリートにとっての食の大切さについてお伺いしました。

さて後編では、アスリートとして生きることを決めた瞬間からオリンピック出場を決めた時までの気持ちについてお伺いします。


お2人はいつ競技を始めたんですか?

池田:父がバドミントンコーチをやっていて、僕自身も5歳から始めました。父の教えていた選手の中には、インターハイ出場者が何人もいましたが、その中でも初めてオリンピックに出場した選手は、息子の僕だったんです。笑

でも、特別に個別指導を受けるとかそういうことは一切なくて何人も子供がいる中の1人でしたね。僕が小さい頃のスポーツ教育は、本当に厳しかったので、小学校高学年になるにつれて家に帰っても父は”怖い”存在でした。

横田:僕は 15歳から陸上を始めました。小学生の時はサッカーと水泳、中学校では野球部でした。

池田:そこから陸上部に変更された理由はなんだったんですか?

横田:野球部で走らされていたら、いきなり足が早くなったのがきっかけです。笑

奥:横田真人 手前:池田信太郎

横田:僕は、中高一貫校だったのですが、中学生の頃、学年で足の速さが1番になったときに、高校の陸上部の顧問からスカウトされました。でも、陸上部のユニフォームがダサくて本当に嫌だったので、最初は断りました。
ただ顧問の先生から「練習来なくていいから、とにかく試合出て!エントリーしておいたから」と言われてしぶしぶ試合には出場しました。

池田:何の種目で試合に出場されたんですか?

横田:最初から800mです。ですが、”800m”という種目があるなんて知らなかったので、走り方がわからなかったですし、スパイクも当然持っていないので、学校の体操着と体育館シューズで走りました。笑

試合前に「どうやって800m走ればいいのか」と顧問の先生に聞いたら「一番早い選手についていって、最後に抜け」と言われました。このシンプルな指示が僕には「わかりやすい!」と思って妙に納得できちゃったんですよね。笑

結果、体育館シューズで出場した初試合で優勝して、”こいつスゲー”と思った両親が、スパイクを買ってくれました。
そこが「陸上部に入るか」と決意した瞬間ですかね。

池田:小さい時からずっと陸上競技をやっていたのかと思ったのでビックリしました。

左:横田真人 右:池田信太郎

横田:例えば、僕は、バドミントンという競技を授業でもやったことがなかったんですよね。池田さんの周りにはバトミントンができる環境があったから始められたと思いますけど、なかなかそういう環境が周りにあることって少ないと思うんです。

池田:僕の場合、小さい頃からそういう環境が周りにあったことが、まず“ラッキー”だとは思っています。
ですが、環境が整っていなくても、自分にそのチャンスが来た時に、どのようにしてそのチャンスを掴むか、の方が大事だと思っています。

横田:インターハイで優勝している選手でも、オリンピックに出場できない選手は大勢いますしね。出場できる選手とできない選手では、何が違うと思いますか?

池田:世界で戦う選手を見ていると、”自分に今、何が足りていないのか”課題を見つけて、すぐに実践できる選手は強いなと思います。自分のパフォーマンスを高めるために自分で行動できる人、探求心がある人は強いですね。もともと持っているモノが違う人もいますが、努力で這い上がってきた選手は探求心が半端ないです。

例えば、朝練に誰よりも早く来ていたり、最後まで体のケアをして帰ったり、ノートを作って自分の練習や試合を分析研究したり…そういう選手はいましたね。

池田さんもノートを取られていましたか?

池田:ノートはつけてなかったですね。笑
ですが、早く練習に行ったり、どうしたら強くなるかを分析したり、人に”話を聞く”ことは他の人よりはしていたと思います。
池田信太郎

いつ頃からオリンピックに出場することを意識し始めましたか?

横田:始めは全くそのつもりはなかったし、陸上競技で食べていけるとも思っていませんでした。ただ、人は常に成長するものだと思っていて、とにかく走っていれば速くなるとは思ってやっていました。僕は楽しく走りたかったし、そういう理由でコーチがいない慶応大学に進学することを選択しました。

そもそも日本で800m種目でのオリンピック出場者は、1968年が最後だったので、オリンピック出場どころか、大学で楽しく練習して、その後は就職して~と単純にそう考えていましたね。

池田:僕は24歳くらいからオリンピックを目指しました。大学で「もうバドミントンは無理だな」と思っていましたので、卒業後は高校の教師になろうとしていましたが、採用枠が足りなくてなれなかったんですよ。ですが、大学最後の冬の大会で少しいい試合をしたらユニシス(その後所属する実業団チーム)のコーチに拾ってもらえました。

そこで、がむしゃらに練習をすることを決めてから、日本ランキングがなかった僕が、2年後に1位になりました。人生どこでどうなるかわからないですよね。

池田信太郎

横田:結局僕も、大学1年生の時にオリンピックを意識し始めることになりました。

理由は、1度は日の丸をつけて走ってみたかった、というのと、北京で行われた世界ジュニアに出場して、準決勝で予選落ちした際に、”ものすごく悔しい”という気持ちが沸いたからですね。その2年後が北京オリンピックだったので「この地に絶対返ってくる」と心に決めました。

40年以上、日本から誰も800mで出場していないことにも魅力を感じましたし、誰もやったことがないことをやりたかったんです。


オリンピック出場が決まった瞬間の気持ちはどのようなものですか?

池田:出場が決まったらほっとしますし嬉しいですね。

横田:僕はギリギリで選考された組なので。笑
陸上はメダルが取れそうな種目から選手が埋まっていくので、800mなんてオリンピックに出場させる種目かどうか、自体を問われました。

800mでは、僕しか標準タイムを切っていなかったので、選考のテーブルには上がるとは思っていましたが、種目として選ばれるか不安でした。なので決まった瞬間は泣きましたね。
横田真人

池田:厳しい世界ですね。バドミントンは選考年の4月〜1年間のワールドランキングで決まります。早い人は、年末頃には決まっていたのですが、僕は3月末に決まったので結構ドキドキしました。
引退した今だから言えますが、今オリンピックレースは見ていると面白いですね。やっぱり1試合の緊張感が全然違います。

横田:池田さんは、冬季オリンピックではどの競技に注目しているんですか?

池田:フィギュアスケートとスノーボードですね。スノボは自分でやることもあるので。

横田:スノボは僕もやります。父と小2の頃からバックカントリーという山を登って山の中を滑ってくるアクティビティーをやっていたので鍛えられました。

池田:フィギュアはどんどん新しいスターが出て来ているし、採点方式が明確で見ていてハラハラするのが面白いですね。

スポーツは自分でやるのも観戦するのもそれぞれの魅力がありますよね。
それでは最後になりますが、これからオリンピックを目指す人子供達に何かコメントがあればお願いします。

池田:目の前にチャンスが来た時に、どのようにアクションを起こせるか、そのチャンスを拾えるかが本当に重要だと思います。
今ジュニアを見ていても、アクションを起こしてくる子は“真剣さ”というか、目が違うように感じますからね。

横田:現代はヒト・モノ色々な状況が整えられていて、自分で考えなくても周りがやってくれる環境がある中、自分で行動できる、自分で人の話に耳を傾けることができるのは重要です。あとは覚悟の差でしょうか。

チャンスが来た中でもリスク、例えば給料が今より低くなるかもしれないし、様々な環境が整っていない地で生活をしなければならないかもしれない、というのがあります。そういうリスクを取ってでも自分にプラスになるものを得るために行動できる人、というのがトップとの差なのではないかと思います。

ありがとうございました。

冬季オリンピックではAuBでもサポートを行っているスケルトン競技にも注目をしていただきたいです!今年の冬はオリンピックで盛り上がる熱い冬になりそうですね!

左:横田真人 右:池田信太郎

左)横田真人

慶應義塾大学在学中に陸上競技800mで当時の日本記録を更新。卒業後は、富士通株式会社に入社し、2012年には日本人として同種目44年ぶりにオリンピック出場を果たす。
日本選手権優勝は通算6回。2016年に現役を引退し、現在はAuBメンバーとして、経営に携わる。


右)池田信太郎

福岡県遠賀郡岡垣町出身。日本人プロ第一号の元バトミントン選手。
2007年世界選手権日本人男子初のメダリスト。
北京オリンピック、ロンドンオリンピック日本代表。
世界バドミントン連盟アスリートコミッションメンバー。
Tokyo2020gamesアスリート委員。スポーツを軸に他分野で活躍中。
2017年8月からAuB株式会社 社外顧問としてジョイン。